古代オリエントの統一とイラン文明

オリエント統一王朝

北メソポタミアに興ったアッシリアは鉄製武器や戦車などを用い前7世紀前半にオリエントを統一した。アッシリアは国内を州に分け、駅伝制を実施し、各地に総督を置いて統治した。しかし重税と圧政によって諸民族の反乱を招き、前612年に帝国は崩壊した。アッシリアの滅亡後オリエントにはイラン高原のメディア、世界初の金属貨幣を用いたリディア、エジプト、新バビロニアの4王国が分立した。

前6世紀にイラン人のキュロス2世アケメネス朝を興し、前539年にバビロンを開城してユダヤ人を解放した。3代のダレイオス1世はオリエントを統一し、各州に知事(サトラップ)をおいて統治した。また、各地に「王の目」「王の耳」と呼ばれる監察官を巡回させ、「王の道」と呼ばれる国道をつくり駅伝制を整備した。

アケメネス朝の行政上の首都はスサに置かれたが、祭儀のための都としてペルセポリスが建設されるなど、アケメネス朝には4つの都が存在した。

アケメネス朝は前5世紀にペルシア戦争でギリシア人に敗れ、最後は前330年アレクサンドロス大王によって征服された。

パルティアとササン朝

アレクサンドロス大王の没後、ギリシア系のセレウコス朝がオリエントに成立した。その後、前3世紀半ばにアム川上流でギリシア人が独立してバクトリアを、カスピ海南部でイラン人のアルサケスパルティア(安息)を建国した。

224年、イラン系のアルダシール1世ササン朝を建国し、パルティアを破った。その後、パルティアと同じくクテシフォンに都を定め、ゾロアスター教を国教とした。2第皇帝のシャープール1世は、西方ではローマを破って皇帝ヴァレリアヌスを捕らえ、東方ではクシャーナ朝を破るなど強勢を極めた。

6世紀半ばのホスロー1世の時代にビザンツ帝国と争い、また騎馬遊牧民の突厥と結んでエフタルを滅ぼし、全盛期を迎えた。しかし、ホスロー1世の没後次第に衰えていき、642年ニハ―ヴァンドの戦いでアラビア半島から進出してきたイスラーム勢力に敗れ、651年に滅亡した。

イラン文化

ゾロアスター教(拝火教)は、世界は善神アフラ=マズダと悪神アーリマンの争いの場であるとする主教であり、アケメネス朝の時代からイラン人に信仰されていた。ササン朝の時代に『アヴェスター』が編纂され、ゾロアスター教の教典とされた。3世紀には宗教家のマニがゾロアスター教・キリスト教・仏教を融合させてマニ教を創始した。マニ教は国内では弾圧されたが、北アフリカや、中央アジア、唐代の中国などに伝播していった。

ササン朝時代には美術や工芸の分野が発展し、ガラス器や陶器の技術や模様が中国を経て日本に伝来した。代表例として法隆寺の猪子狩文錦や正倉院の漆胡瓶などが挙げられる。