メソポタミアの統一
メソポタミアでは前3500年頃シュメール人が出現し、前2700年頃までにウル、ウルク、ラガシュなどの都市国家を建設した。シュメール人はウルにジッグラト(聖塔)を建設し、宗教の権威により統治する神権政治を行った。
前24世紀にセム語系のアッカド人がメソポタミアやシリアの都市国家を征服し、統一国家をつくった。アッカド王朝の滅亡後、セム語系のアムル人がバビロン第一王朝を興した。ハンムラビ王の時代に全メソポタミアを統一し、同害復讐の原則と身分別の刑罰を特徴とするハンムラビ法典を制定した。
前17世紀頃アナトリア(小アジア)に印欧語系のヒッタイトが国家を建設した。世界で初めて鉄製武器を使用し、メソポタミアに遠征してバビロン第一王朝を滅ぼし、シリアでエジプトと争うなど強勢を誇ったが前13世紀頃ギリシア・エーゲ海方面から進出してきた海の民によって滅亡した。
バビロン第一王朝の滅亡後、メソポタミア北部にはミタンニ王国が興り、南部にはカッシート人が侵入しバビロニアを支配した。
メソポタミアではシュメール人が発明した楔形文字を他の民族も使用した。また、六十進法や太陰暦なども誕生し、実用的な学問が発達した。
エジプト統一王朝
エジプトではギリシアの歴史家ヘロドトスが「エジプトはナイルのたまもの」と記したようにナイル川の増減水を利用し盛んに農業がおこなわれた。ナイル川流域には多くの州(ノモス)が形成され、エジプトを統治する王(ファラオ)による神権政治がおこなわれた。以後1600年以上統一王朝が続くが、そのうち特に繁栄した時代はそれぞれ古王国・中王国・新王国と呼ばれる。古王国時代はメンフィスを都とし、クフ王らがピラミッドを築かせた。都をテーベに移した中王国では、末期に遊牧民のヒクソスが侵入しエジプトを支配した。前16世紀に新王国が成立しヒクソスを追放、さらにシリアに進出した。アメンホテプ4世(イクナートン)は都をテル=エル=アマルナに定め、従来のアモン=ラーを中心とする多神教からアトン神の一神教への宗教改革をおこなった。王の死後宗教改革は頓挫したが、都では写実的なアマルナ美術が開花した。
古代エジプト文化
エジプトでは太陽神ラーを主神とする宗教が興り、新王国時代にはテーベの守護神アモンと結びつきアモン=ラー信仰が盛んになった。エジプト人は霊魂の不滅と死後の世界を信じてミイラをつくり、「死者の書」を死者とともに埋葬した。
ナポレオンのエジプト遠征中にロゼッタ=ストーンが発見された。石碑の上段に神聖文字(ヒエログリフ)、中段に民用文字(デモティック)、下段にギリシア文字が記されており、ギリシア文字を手掛かりにフランスのシャンポリオンが解読した。当時神聖文字は碑文や石棺、民用文字は紙の一種であるパピルスに用いられた。
エジプトでは測地術が発達し、ギリシア幾何学の基になった。また、前30世紀頃から太陽暦が用いられるようになり、これはのちにローマで採用されユリウス暦となった。
地中海東岸の諸民族
古くから交通の要衝であったシリア・パレスチナ地方では前13世紀頃にエジプト・ヒッタイトの勢力が弱まったのを機にセム語系の諸民族が活動を開始した。
アラム人は前1200年頃からダマスクスを中心に内陸都市を結ぶ中継貿易を行った。そのためアラム語は国際商業語として広く使われ、アラム文字はヘブライ文字やアラビア文字、ウイグル文字など多くの文字の源流になった。
フェニキア人はシドン・ティルスなどの都市国家をつくって地中海貿易を独占し、北アフリカのカルタゴなど多くの植民都市を建設した。カナーン人の表音文字から作られたフェニキア文字は、ギリシアに伝わりアルファベットの起源になった。
遊牧民であったヘブライ人は前1500年頃パレスチナに定住し、一部はエジプトに移住した。しかし、エジプトでは圧政に苦しみ、前13世紀にモーセに率いられパレスチナへ脱出した(出エジプト)。前1000年頃ヘブライ人は王国をつくり栄えたが、ソロモン王の死後イスラエル王国とユダ王国に分裂した。イスラエル王国は前722年にアッシリアに滅ぼされ、ユダ王国は前586年に新バビロニアに征服され住民の多くがバビロンに連行された(バビロン捕囚)。ヘブライ人は唯一神ヤハウェを信仰し、選民思想や救世主(メシア)を待望する思想が生まれた。バビロンから解放された後イェルサレムにヤハウェの神殿を再興し、ユダヤ教が確立した。